| 初世 鶴賀 若狭掾 |
| | 宝暦元年(1751年)独立改名して鶴賀節を確立し始祖となる。敦賀の出身で、幼少にして江戸へ出て御家人の養子となる。その後養家を出て宮古路加賀太夫の門下となる。宮古路・富士松時代よりも所作事の間拍子を無視して、語り物自体としての特色を出し、豊後節のもつ哀愁味を一段と深めた曲調を創造した。今で言うシンガーソングライターとして素晴らしい才能を発揮した名人で、多くの名曲を今に残している。主な作品として 「若木仇名草(らん蝶)」「明鳥夢泡雪」「尾上伊太八」等があり、また義太夫物から新内へ移曲した作品も数多く残っている。 |
| | |
| 二世 鶴賀 鶴吉 |
| | 初世の娘。義太夫節や他の豊後節系の浄瑠璃の曲調を新内節に取り入れ、曲節は複雑となりテンポもはやくなり、新内節を新鮮な浄瑠璃とした才女。移曲作品には「関取千両幟」等 |
| | |
| 三世 鶴賀 鶴吉 |
| | 二世家元の娘。
(門下にいた鶴賀加賀八太夫が改名し、富士松魯中を名乗った新内中興の祖である) |
| | |
| 四世 鶴賀 新内 |
| | 盲目の新内語りで、鼻に抜ける美声は一世を風靡したと言われる。それまで鶴賀節と言われたのが彼の出現に依って以後新内節と呼ばれるようになった。 |
| | |
| 五世 鶴賀 若狭太夫 |
| | 三世家元の婿。芸の技量がなかったようだ。明治二十四年(1891年)に没して鶴賀の直系は絶える。
|
| | |
| 六世 鶴賀 新内 |
| | 社中から推挙されて明治二十五年(1892年)築地魚市場頭の鈴木重太郎が家元を継承した。 |
| | |
| 七世 鶴賀 新内 |
| | 六世の息子。 |
| | |
| 八世 鶴賀 若狭掾 |
| | 七世の息子。十八才の頃に家元を継承し、鶴賀若狭掾を襲名する。芸風は節は複雑繊細にして、詞(コトバ)は巧緻で、語り物(浄瑠璃)の新内の語り口は、今尚定評を残す。 |
| | |
| 九世 鶴賀 若狭太夫 |
| | 社中頭として推挙されて家元となる。前名鶴賀繁太夫。昭和六十三年(1988年)没。 |
| | |
| 十世 鶴賀 若狭 |
| | 九世の息子。新内の三味線方として初の家元となる。平成十一年(1999年)六月没。 |
| | |
| 十一世 鶴賀流家元 鶴賀若狭掾 |
| | ※ プロフィールは別途記載

鶴賀若狭掾
|
|